「何回だって行くよ、…だって悔しいから」
ひとしきり泣いたであろうコハルはいつもより低い声で、それでもはっきりと言い切った。1/10の夜、発表は18:00だったが、コハル家から連絡が来たのは20:00を回っていた。1/10午前は第一志望のS中。入塾からがんばったとはいえ、確率は五分五分といったところだった。残念ながら1月の初戦は運は味方しなかったようだ。
「感触はどうだった?手ごたえはあったの?」
「自分なりには『できた』と思ったけど…。たぶん自分が気づかない『ミス』…あ、『実力不足』です。」
ちゃんと覚えてたんだ。確かにいつも言ってた。「入試で『ミス』なんてないよ。計算ミスだろうが誤字脱字だろうが、全部『実力不足』だよ。」-
「ミス」で片づけていると「本当はできた」で済ませてしまうから、『実力不足』という言葉に置き換えている。じゃないと「ミス」は振返りしないから、小学生は…。
「確かにね。僅差になればなるほど『一問の重み』って出てくるよな。お前さん、ちゃんと一つ一つをていねいに解けば受かるから。明日ももう一回受けるよな?じゃあ、これからちょっとでいいから『ていねいに』やれることやってごらん。そうだなぁ…もう一回テキストの計算問題やってみな。『ていねいに』ね。」
「そんなに『ていねい、ていねい』言わないでよ。私がガサツみたいじゃん。」
「だから言ってんだよ。」
「…へへっ…」
ちょっとでも笑わせられたら勝ち。そのあとはひたすら道化て道化て…。コハルの気持ちをニュートラルに入れ替える。「明日は勝てる、明日は勝てる」と思いながら。
「やる気にあふれていても一時間は一時間、落ち込んでいても一時間は一時間。いつもオレ言ってたよな?さぁ、コハル!今のお前さんはどっちだ?」
「え…?やる気はあるけど…おなか減った!」
「しらんわ!飯食え!」
もう大丈夫。いつも通りのコハル。これでもう大丈夫、明日ちゃんと戦える。電話をかけてきた時とうって変わってケラケラ笑うコハル。こんなところでつまずかせるわけにはいかない。まだまだ戦いは続くから。
胃が縮み上がる思いだけどこの子たちもそうなんだ。そしてこの子たちは自分の手とえんぴつで戦って結果をつかもうとしているんだ。時間はこの子らをそこまで運んできている。
「みっしぇる、じゃぁお母さんに代わるね。」
「うん。やることやったら温かくして寝なね。」
「うん。ありがとう。じゃ、明日ね。明日もS中に朝来てくれるよね。」
「わかった。行く。行くよ。ナオ先生もきっと来てくれる。」
「やった!明日受かりそうな気がする!じゃぁおやすみ。はい、お母さん…」
明日受かりそうな気がする、か。気持ちって大事だな。
「あ…先生。ありがとうございました。あの子さっきまですごく落ち込んでいて…どうしていいかわからなかったんです。でもすごいですね。ちょっと先生と話しただけで…。いつも通りに戻っちゃいました。」
全然すごくないんです、お母さん。心の中では自分も「どうしよ、どうしよ」って思っています。言えませんけどね。そしてコハルがもとに戻ったのも、電話の前にお母さんが一生懸命励ましたから。それが無かったら…。自分は魔法使いでもメンタリストでもないですから…。
「でも中学受験って大変ですねぇ…。私も分かってなかったな…。」
きっと、本音なんだろうな。でもそれはお母さんが本気でコハルに向き合ったから言えることなんじゃないかなと思う。その「向き合う」を受験は連れて来たんだ。きっとお母さんもそれに気づいているはず。
「明日は、きっと。コハルを信じて送り出しましょう。」
そう言って電話を切った。明日はいい風が吹くといいな。
そのあと、ナオ先生と電話で話して「もしも」を想定したシミュレーション。今頃コハルも、フユトも、ナツキも明日の準備しているのかなー
-「…ねぇ、やっぱり悔しかった?昨日の結果。」
「え―!もう忘れちゃった!昨日のことはもういいの!よかったぁ!あ、ねぇ。でもこれから合格取り消しなんてないよね?みっしぇる?」
「さぁ。合格したからってこれからサボればあるんじゃない?」
「えー!いじわる!」
「悔しいから」-その25時間後に巡ってきたコハルの春。そわそわしながら受けた授業の後、自宅に戻ったコハルから結果連絡が来たのはその時間だったんだ。半年前にはなかった「粘りきる」を手にしたコハルに春一番が吹いたんだ。