こんには。みっしぇるです。
今日の日曜から6年生は隔週での過去問演習講座に入りました。初めてテキストの問題ではない実際の入試問題、いあわゆる「過去問題」に挑戦します。でも過去問はあくまで演習です。例えばその年度回の合格点にデータ上で達していないとしても全く気にしません。まだ9月ですしね。その年の1/10段階、2/1段階とは時期も学校の作り方も違うし、受験生の得手不得手のツボも違います。さらに過去問で基準点に達して鼻を膨らませて油断されるのも困ったものです。あくまで過去問は過去問、演習の一環として扱います。
さて今日は国語を扱いました。毎回国語の過去問を6年生に解かせる時に言うことがあります。それがタイトルの「素直に読んで素直に書く(答える)」です。
小学校高学年ともなるとご家庭外からの情報もとても多くなります。まず友人関係。小学校では同じ学年のソサエティのの中に身を置きます。中には上にお兄ちゃんお姉ちゃんがいたりして、目線上の言葉や情報が溢れます。そして上世代からの情報がまぶしい年ごろの子たちはやっぱりそれに傾倒してしまうんですね。これは成長段階の現象として諦めています。またやはりネットやテレビなどからの情報も溢れかえります。彼ら彼女らと話しているとすぐわかりますけどね、「あ。これは【外部】からの情報だ」と。先述の通りそれそのものは仕方のないことだと思っていますし、悪いとまでも思いません。自分もきっとそうやって育ったのだろうし。
ただその中で気にしているのは「素直に読めているかな、答えられているかな」ということです。たまに出てくるのが「深読みしすぎた」「かっこつけた」回答です。突如として本文中に使われていない語句が出てきたり、本人の主観が記述されていたり…。そういった類の答えです。基本的に語句などのワードも含め、本文中の言葉や言い回しを使うように指導していますし、入試問題作成者もそれを期待して作っています。と、いうよりも国語科という学問そのものがそれで成り立っています。ですから、受験者本人の主観や他の言い回しなどは返って邪魔になる場合があります。ただ多感な時期の生徒たちなのでたまにあるんですね、「そういう回答」が。しかもそれを自覚できていない場合が多いので、一つ一つ指摘していきます。「ほら、これどこにも書かれてないよ」「キミの考えじゃなくて筆者の考えだよな」等々。思ったよりも難しい、「素直にやる」って。
それでも最後は「素直に読んで素直に答える」に行きつくんだから、やっぱり小学生って素直なんだなとも思います。以前のブログにも書いたけどやっぱり「素直」は武器。大人に素直であれ、とは思わない。でも問題に対しては素直であれ。
みっしぇる